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迷宮の市場

台中に行ってきました。写真は、そこで見つけた台中市第二市場です。台中市が1932年ごろに建設した公設市場(消費市場)です。驚くのは、今でもほとんど変わらず、現役の市場として賑わっていることなのですが、一つの街区を占有する巨大な建物の中に入るとさらに驚かされます。街区の軸線とは異なるそれぞれバラバラな角度を持ったいくつもの通りが縦横無尽に繋がっています。まさにラビリンスです。なぜこんなことになっているのか。日本統治期の台湾においては、州や市といった地方自治体は、ほとんど自治権も財政権もない名前だけの存在でしたが、何度かの地方制度の改正を経て、1930年代には、市にも法人格が与えられるようになり(このあたりのことは2022.11.30の都市空間再編研究会での砂川晴彦さんの発表にもありました)、台中市にも技師が配属されるようになりました。そして市営の住宅、市場、質舗、葬儀堂、水泳場、野球場など多くの公共施設が建設されていったわけです(この経緯の一端は西川博美さんとともに建築学会大会で示しました(「日本統治期台湾の地方都市における公共建築建設―台中市に着目して」)。今回、台中の他の施設の展示で、この市場が1917年から始まっていたということが示されていました。つまり、台湾総督府による市区改正で街区が作られる以前から、市場は存在し、その時点での複雑な街路網をそのまま建物の中に取り込むようにして、巨大な公設市場が建設されたのかもしれません。まだ確証はありませんが。いずれにしても、総督府、州、市などの関係性が、地方制度改正により複雑に変化していくという植民地ならではの状況の中で、都市空間に入れ子のような構造が出現していたことがうかがえます。これは興味深いことです。




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