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表象するものの存在が

10月13日に、テロワール研究の発展系として「土地と人間」研究会を開催したのですが、そこで小島見和さんが発表してくれたシャトーの成立史はとてもおもしろかったです。つまりですね、ワイン醸造所をシャトーと呼ぶようになるのは、19世紀後半になってからだと。それはあえてシャトーと呼ぶことで高品質のワインのイメージを作り出すためだったのだと。そしてわれわれの『テロワール』の中で調査して取り上げた、シャトー・クーテットは、取得したワイナリーの中に残っていた古い建物を、いかにもシャトーらしく見せるために(たぶん)古典主義的な建築に改修しているのですね(写真の建物)。確かに実際に現地に行ってみると、この建物群の存在は重要だと感じましたね。イメージを作り出すために、そのイメージを表象する形が必要になっていった状況がわかります。

 一方で、10月28日には、都市編成研究会で金珠也さんにソウル延喜住宅地の話をしてもらいましが、こちらもおもしろかった。最初は飛島建設が延喜莊土地株式会社を作り高級住宅地として1934年から分譲を始めるものの、その後総督府の大規模な土地区画整理地の中に編入されてしまい、解放後は「敵産家屋」として払下げられて現在に至るという住宅地です。まったくもって土地会社の思惑、植民地統治、米軍の進駐などに振り回されてきた歴史を辿った住宅地です。それでも、現在訪ねてみると、周囲と全く違う雰囲気を醸し出していて、ちゃんと高級住宅地として存続しているように見えます。金珠也さんの発表の後の議論では指摘できなかったのですが、周囲との差を作っているのは、最初の分譲地を創った際に宅地ごとに造られた擁壁なのではないかと思いました。そう、そこにもイメージを表象する形が大きな意味を持ち続けていたのではないかと。



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