写真は、台北の南港で見つけた看板です。伊東豊雄ハウス?。
南港はいま大規模な開発が進む地区で、住宅建設も盛んです。そこに伊東豊雄設計の戸建て住宅が進み、その看板ということでしょう。以前から台湾では、伊東豊雄は著名な建築家でしたが、台中のオペラハウス(2015年)以降は、その知名度は圧倒的になっているということでしょう。しかし、それでも建築家の名前を冠した住宅地って・・、少なくとも日本では考えられないのではないかと。そこには建築家の、というよりも建築家の名前を利用したブランド化という事態が進みつつあると言えます。
もちろん、あらゆる表現行為には、それを生み出す作家(の名前)が、その作品の価値を決めていくということがあるわけで、それをブランド化として批判的に指摘しても仕方ないですね。ただ、この伊東ハウスに見られるようなブランド化は、大規模な資本投下により、しかも高額な商品としてそれを購入するというような事態に生じるということで言えば、何らかの「正当性」を与えるものとなることに注意が必要です。つまり、あの伊東豊雄のものなのだから、高い買物でも安心だというような。
建築におけるそうした事態から逃れようと主張してきたと言えるのが隈研吾ですね。彼の近刊『日本の建築』(岩波書店)でも、そうした主張、というか構え方の一端を見ることができます。日本的な表現を新しい視点から捉えようとしているわけですが、そもそもなぜそうした分析をしようかと思ったかというと、建築家の「和」の表現が、「閉鎖的で、自分たちの売っているブランドを守っているだけのブランドビジネスにしか見えない」(日経BOOKPLUSインタビュー)と思ったからだというわけです。つまり、日本の伝統的な表現を標榜して評価されようとするのは、そこに一つの建築の「正当性」を訴えることではないかというわけです。
ただ、隈研吾という建築家の名前が、今や「日本を代表する」というブランドとしての「正当性」を示すものになっていることも事実です。興味深いのは、伊東豊雄も隈研吾も、その作ってきた作品には、「日本的表現」とされる作品群に見られるような何らかの様式的なものがないことです。その表現の幅がとても広いのです。写真の伊東ハウスとうい看板を見ても、その住宅がどのようなものになっているのか想像がつきませんでした(時間がなくて見に行けなかったのですが)。そのことだけを捉えれば、二人とも自身がブランド化されることから常に逃れようとしていた、それがデザインのモチベーションになっていたと言えるのかしれませんね。