11/11に『テロワール』の書評会を開催しました。具体的な本の内容について、というよりも「テロワール」とは何なのか、という問いが様々な観点から論じられ、この概念の広がりと可能性を改めて感じることができました。確かにおもしろかったのですが、本の中でも結局、結論のようなものは提出できなかったのと同じで、今回の議論が収拾することがなかったと思います。現在、テロワールは日本語で「地味」といようような訳語があてられるのが一般的になってますが、それは違う。地味は、もっぱら土地に本来的に与えられた価値を指すわけですが、テロワールの本質は、土地に重ねられてきた価値にあるのです。つまり、土地とそれを活かす人間が相互に関係を作り出し、そこに生まれる価値なのです。だから、テロワールは様々な要因で変化をすることもあるのです。でも、それでは土地と人間の関係性とは、どのように捉えることができるのか。ここにいろいろな要素が絡むことになるので、「あれもテロワール、これもテロワール」というような拡散していく議論になってしまいます。
それでも、それを収束させる一つのヒントがあるのではないか。それは、その関係により生まれた価値が、どのような方法で、どのような場面で実際に価値付けられていくのか。その、いわば出口の様相を探ることなのかなとも思うのです。そのように改めて思ったのは、ここで紹介した国交省が進める日本の都市の3Dデータのオープン化事業=PLATEAUのハッカソンに、審査員として参加した経験からでした。これは各市町村が作成する都市計画基本図から三次元のデータを同じデータ形式で抽出し、それをオープンデータとして公開しようとするもので、すでに不動産業界などがそのデータを活用し始めているのですが、商業ベースだけでなく、もっと多様な活用方法があるはです。そこで、それをハッカソンでアイデア出しをしようとしているわけです。京都での開催ですから、そのデータを都市の歴史的価値の新たな表現方法に生かせないかというアイデアも期待されました。
さて、審査した結果としては、悲観と可能性の両方を感じるものになりました。現状の3Dデータでは、建物が四角い箱の状態で(これをさらに精度をあげていこうとしているのですが)。そのため、現状ではそれを歴史的景観などの代替データに利用することは困難です。一方で、箱の状態というきわめて抽象的な、土地・建物(地物)だからこそ、それを加工してリアルな空間とは別の、新しい「京都」を作る可能性も見えてきます。実際には、参加者の多くはゲームやGISを扱う若い技術屋さんたちが多かったので、京都の街のおもしろさを、ゲームの楽しさとして取り組む、というアイデアになりがちでした(京都の街区を使ってピンボールを楽しむなどというものもあった)。
写真は2019年に訪ねた台北の郊外にある猫空(マオコン)です。広大な土地に茶畑が広がります。ここが面白いのは、茶生産よりも、そこに至るロープウェイが作られ観光拠点化していることです。観光客用のレストランもたくさんあります。こうした、伝統的な何かの生産地が、その景観の豊かさから観光地化していくことは世界中に見られるようになってきています。土地とそこでの人間の活動が生み出したものは、どのようにして価値を認められていくのか。少なくとも、それが観光地やゲームというような商品化の価値として認められていくというのは、どう考えても限界がある。そもそも「テロワール」は、そうした消費社会、つまりその価値がいずれ消費されてしまうことから逃れる概念としてあるのではないかという、その可能性を考えるところから私たちはその分析を始めたわけですので。
