今回、石田純一郎・安箱敏両先生による1940年代のソウルおよび京仁地方における住宅地造成に関する研究発表(2月21日)と、廉馥圭(ヨム・ボッキュ)先生をお迎えしたご著書『ソウルの起源―京城の誕生』(明石書店)の内容についての講演会(3月8日)を実施しました。二つの話は、植民地期におけるソウル(京城)の都市計画事業についての歴史研究が、ようやくその深い部分にまで到達しつつあることを示すものでした。ふつうに考えれば、その歴史には植民地としての支配と搾取の構造が読み取れるはずと考えるのですが、そう単純なものではない。そして、その複雑な構造にこそ、この研究テーマのおもしろさがあるということが了解できました。石田・安両先生の話では、その「一団の住宅地経営」の目的と政策、規模の大きさ(図は住宅地の一つ上道府営住宅)、経営手法などについて、制度史と具体的な経営地の詳細な調査成果が示されたのだけど、それぞれなぜそうなったのかが不明な部分も数多く残されています。一方で廉馥圭先生の話は、その不明な部分を支配・被支配の関係が生み出す多様な葛藤の中に見出そうとするものだったと思います。しかもそれは、単純な力関係では解釈することができない部分が数多く含まれる。例えば、総督府の政策に日本人住民が反発する、あるいは朝鮮人側からの意向での事業が変更されるなどの事象も起こってきます。その単純に捉えることのできない葛藤のようすを、廉馥圭先生は、ジレンマよりさらに進んだ(?)トリレンマという言葉で表現していました。いずれにしても、韓国でもこうした植民地期の都市計画の研究を進める研究者が登場したことも含め、いろいろ驚くことの多い発表・講演になったと思います。
