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オーディナリー文化財

更新日:2024年1月17日

 今回の能登半島の震災では、多くの伝統的な木造住宅がつぶれました。今回の震度ではしたかないことでしょうが、気になるのはその後の再建です。上空から写真などを見る限り、木造住宅の多くがまだ伝統的な工法で建てられたもののように見えます。それらが壊され、それを再建しようとする時に、もとのとおり建設できるのか。

 昨年末のASSECの理事会(とその後の忘年会)では、2025年からの建築基準法改正 で 階数2以下かつ延べ面積500㎡以下の木造建築物は建築確認・検査の一部が省略できるという4号特例制度が縮小(廃止)されることになることが大きな話題となりました。これにより、仕様規定に適合せず構造計算による判定では不合格になってしまう伝統工法の木造住宅は、新しく建設できなくなってしまいます。ただし今回の改正では、そうした伝統的木造は、専門的知識を有する専門家が審査をする場合には、構造計算適合性判定を不要にするというきわめて曖昧な付則がつけられているのですが。

 いずれにしても、安全性を担保するために木造住宅については、原則として一般的な仕様規定に適合して作ることが求められることになるわけです。そうです、これは伝統的構法の木造は、まさに「伝統的」という言葉が示す歴史的存在に閉じ込められてしまうことになるのです。もうそれは文化財であると。文化財なのだからそれを維持・保存することが重要なのであって、それと同じようなものを新築するなどありえない、ということなのですね。もしそうであるならば、輪島の町並みの風景を大きく変ってしまいそうです。

 ただ輪島の町並みなど見ても、あるいは京都の六録楼の回りを見渡しても、伝統的工法はいまだ健在です。六録楼を修復する際には、宮大工もしていたという一人の大工がいろいろ面倒を見てくれました。追掛大栓継ぎなどを事もなげにやってしまう凄腕の大工でしたが、京都の住宅修復の現場を渡り歩いているようで、伝統工法を熟知している彼のような存在は、今後いらない、ということになってしまうのでしょうか。

 写真は、先日行ってきた倉吉の白壁の土蔵が並ぶ伝建地区の防災センター(くら用心)です。実は、この建物は、2003年に火災で焼失してしまったものを、できるかぎり元の伝統工法で再建したものです。見事に蘇っていました。こうした構法がちゃんとこの地区では現役であることの証しなのでしょう。

 現在の文化財の概念はかなり古くさいものになってきたように思います。これまでの文化財とは、意匠や様式や構法を時代を象徴する優れたものとして他から切り離して称揚する。でも建築の場合、それが日常空間の中にもあるわけですから、博物館の展示物のようには扱えない。特に、住宅となると、日常の生活で生まれるものなので、その中から優れたものだけを切り出すというのは意味がない。もしそれでも、文化財を考えるのであれば、日常生活で面々と築かれてきた意匠や構法を、そのまま全体として捉える、いわばオーディナリー文化財(?)のようなものを想定する必要があるのではないかと。



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