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あらためて「景観」

 ちょっと故あって、景観という言葉・概念がどのようにできたかを調べています。これがけっこうおもしろい。景観という言葉は、植物学者の三好学が 19世紀末ごろかドイツで議論が高まっていたLandschaftという概念に与えた訳語であるとされています。1910年代のことです。でも、当時は専門用語のようなものでこの言葉は広がらなかった。実際には、1930年代になって地理学の分野で、改めてこの言葉と概念をめぐって侃々諤々の議論がおこなわれたのです。改めてLandschaft(landscape)の訳語が考えられ、いわく景域、景相、風景形態、地相景、地郷と。

 その中から、東京帝国大学の地理学の権威であった辻村太郎(写真)の指導力?で、景観が最終的に選ばれていったようなのです。ただおもしろいのは、その景観に対していろいろな批判も噴出していたことです。辻村の景観は、あくまである地域の地形とか自然環境を科学的に明らかにしようとするもので、当時も文化景観という言葉も使われいましたが、それを捨象してしまうというものでした。それに対して、例えば渡辺光という地理学者の批判はするどい。「景観の成因的・発達的調査に当って見るに、それが文化的事象を含む限り、 分析的方法が用ひられ得る範囲には自から限界があることを当然容認せざるを得ない」。なるほど。そして小原敬士という地理学者は、景観は「単に, 歴史のある断面に於ける地域的景観を観察の対象とするといふ意味に於て, 非歴史的である」とさえも言ってしまいます。そう、時間軸のある断面を見るだけなので、それは地域を輪切りにするだけしかないと。

 こうした批判は、現在われわれが使う景観に対する、本質的な疑問や批判になっていますよね。残念なのは、地理学おいて、こうした議論が戦前で終わってしまって、戦後には続かなかったことです。なんでだろう。いま改めて景観という概念のあいまいさについて考える必要があると思う、きょうこのごろです。




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